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イギリスのEU離脱が示す人工国境大国崩壊の時代


世界中の株式市場でイギリスのEU離脱騒動をきっかけとした株価急落からの値戻しはほぼ終わったようです。アメリカにいたっては、主要株価指数が次々に史上最高値を更新しています。結局、2016年6月最終週の金融市場の動揺は、まったく根拠のないカラ騒ぎだったのでしょうか。

イギリスのEU離脱をめぐる国民投票は、6月10日前までは離脱派が多数を占めると予測されていました。しかし、熱心な残留派で、しかも若い女性国会議員が狂信的な離脱派の男に暗殺されてから完全に風向きが変わり、6月23日の投票を目前に控えた週末の世論調査結果では残留派が有利と見られるようになっていました。それほど急激に情勢が変化していたのです。

ところが、蓋を開けてみればEU離脱派が僅差で勝利を収めるという土壇場でのドンデン返しが起きました。そもそも、今回の国民投票の結果には政府や国会議員を拘束する力はなく、単なる人気投票あるいは意見表明の場でしかないということになっていたはずです。

だから、離脱派が多数を占めたとしても、6〜7割というような圧倒的な多数にならないかぎり、国民投票実施当時のキャメロン政権も英国議会も離脱に舵を取る可能性は低いというのが、この国民投票開票直前までの消息筋の見方でした。

しかし、僅差で離脱賛成派が勝利を収めると、イギリスの政局は一挙にEU離脱に雪崩れこんでいきました。なぜ、この問題がヨーロッパの金融業界であれほどの大騒ぎになったのでしょう。そして、なぜイギリス国民のEU離脱という意志表示が、ストレートに国政レベルでの政策転換につながったのでしょうか。

最大の理由は、イギリス国民がEU加盟国であることの利点がほとんど幻想だったということです。イギリスは崩壊目前のユーロ圏、EU圏となるべく距離を置いたほうが得と判断しました。イギリス経済は、アメリカ以上に金融業だけの片肺飛行化が進んでいます。しかも、イギリス金融業界の収益性の高さにはEUには加盟していますが、ユーロを共通通貨としていないという状態が、大きく貢献していたと言われています。

イギリスの金融業界の付加価値額は、ユーロがまだ存在しなかったり、計算上の仮想通貨だったりした2002年までは700億ポンド前後にとどまっていました。しかし、ユーロが現実に流通しはじめてからは急激に収益性を高め、5年後の2007年のピークでは、付加価値額がほぼ2倍の1400億ポンドまで成長していたことがわかります。また、2008年の落ちこみも1200億ポンドまでと小幅にとどめ、翌2009年には2007年とほぼ同額に回復しています。

これは、アメリカの金融業界が2008年のリーマンショックでこうむった深刻な被害とはまったく違う収益構造がイギリスの金融業界にあったことを示唆しています。その違いは、ヨーロッパ諸国との間で、人もモノもほとんど制約なく自由に往来できるが、通貨は共通通貨ユーロに縛られずに、金融政策上の自立性を維持できていたことにあるというのが定説でした。

たしかに、日銀の黒田総裁同様、まったく景気浮揚効果のない量的緩和やマイナス金利政策をゴリ押ししている欧州中央銀行(ECB)のドラギ総裁のやり方を見ていると、もしイギリスがユーロ圏にも入っていたとしたら、金融業界の付加価値額を1200億ポンド前後で維持することは不可能だったのではないかと思えてきます。それほどEU圏には属しているが、ユーロ圏には属していないイギリスの金融業界には安定した収益基盤があったようです。

それにしても不愉快なのは、これだけ荒稼ぎをしているイギリスの金融業界は雇用について非常に渋いことです。2007年に220万人だった金融業界および付随的な専門サービス業界の雇用者数は、2010年に200万人ぎりぎりまで下がり、その後5年かけてやっと220万人をわずかに超える程度に増えただけです。議会政治の母国を自任するイギリスの政治が、こんなに株主や経営者の利益ばかりを優先して動く金融業界の言いなりになっているとしたら、情けない話です。

個人としては、「イギリスのEU離脱をめぐる国民投票は僅差で離脱派が勝ちそうですが、現キャメロン政権は残留を押しとおすだろう」と予測していました。ところが、国民投票の結果は52%が離脱、48%が残留を支持するという接戦だったのに、保守党キャメロン党首は投票結果の尊重と首相辞任の意向を表明しました。

なぜ、キャメロン首相は国民投票の結果を尊重し、政権を明け渡すことにしたのでしょう。おそらく、EU離脱問題がイギリス国内で政争の焦点となり始めたころには、国民投票にかければ残留派が圧勝すると確信していて、その結果を自分に対する信任の証拠と主張することによって脆弱な政権の足場を固めようとしていたのでしょう。

徐々に明らかになってきた地域別の投票結果を見ても、ロンドンとその近郊、エジンバラ、グラスゴーといった金融業依存度の高い都市では圧倒的に残留派が強かったようです。そして、今年の春、パナマ文書問題が話題となっていたころ、キャメロン首相は「タックスヘイブンであるパナマにダミー会社を設立して税金逃れをしたのは、父親の代からやっていたし、事業主ならだれでもやることだ。私が大げさに書き立てられたのは、たまたまイギリスの首相だったからだろう」とぬけぬけと言ってのけた人物でもあります。

こういう人ならふだんの付き合いも金融業界をはじめとする高額所得者に限定され、ふつうのイギリス国民がどれほどEU官僚によるイギリス国内問題への干渉を腹立たしく感じていたかなど、想像もできなかったでしょう。たとえば、EU加盟国のあいだでは、EU官僚の承諾が得られない法律を国会で通すことはできません。

今回、ほとんどの世論調査結果が開票直前まで残留優位に傾いていたのも、今や完全に金融業界などの利権集団に飼いならされている大手マスメディアや世論調査会社の標本サンプル抽出法までもが、現体制擁護に傾斜していたことを示唆しています。しかし、実際にイギリス国民はEU離脱を選択しました。

キャメロン前首相がEU離脱という国民の意思を尊重してあっさり政権を投げ出したのは、現職の首相のままでパナマ文書問題が深刻化して野垂れ死にするよりは、この問題がまだ小さな火種にとどまっているうちにきれいに身を引いたほうが得策だと考えたのでしょう。

それでは、このイギリスのEU離脱で、世界はどう変わるのでしょうか。最大の変化は、第一次世界大戦以降連戦連勝だった既得権益擁護派が一敗地にまみれたという事実です。離脱の票を投じた人々の大部分は「EUを離脱したら、すぐにもすばらしい新世界が開ける」などという幻想は抱いていないでしょう。

座してときの流れに身を任せていれば、どんどん金持ちはますます金持ちになり、貧乏人はますます苦しくなります。EUを離脱することによって、その境遇を脱却するきっかけがつかめるかもしれない程度の期待しか持っていなかったでしょう。

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