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ヨーロッパ諸国の難民危機は、偽善がEUを崩壊に追いこむ


ドイツでは、2015年8月31日にメルケル首相が、イラク、シリア、アフガニスタンなどのイスラム圏からの難民を受け入れるという例外的な措置を決定しました。米英仏を中心とした有志軍による執拗な空爆によって家を失ったり、生活の基盤を破壊されたりした人たちを難民として受け入れることの何が例外的措置だったのでしょう。

EU圏諸国では、ダブリン協定を守ることになっています。そして、この協定では、難民の申請はEU域内に入ってからしかできないと決まっているようです。しかも、難民が最初に足を踏み入れたEUの国が、その難民を登録し、保護しなければなりません。また、難民を勝手に通過させて、他のEU加盟国に送り出すことも禁じられています。

まさにラクダが針を通るよりも難しい仕組みになっているのです。これでは、ドイツ以外にも難民の受け入れという勇気ある決断をする国があったとしても、中東からの難民たちは直接その国に入るための旅費と、コネやツテも持っていなければ、無事に難民申請をすることができません。

建前の上ではEU圏内の商品、サービス、資本、人の移動は、なんのチェックもなく完全に自由に行えることになっています。これは、現代世界がまだまだ、人種的、民族的、宗教的偏見も根強く残り、貧富の格差も厳然として存在するだけではなく、むしろ拡大していることを考えれば、あまりにも理想主義的な規定です。

現代社会の実情には、こんなおとぎ話のような移動の自由を許す余裕がないことは誰でもわかっています。ヨーロッパのキリスト教国の国民と、そのキリスト教国が共有する世界観の中での自由や民主主義をおとなしく、物分かりよく受け入れたお客様として滞在する、生活水準的にもヨーロッパ諸国とほぼ同等の東アジア諸国民だけがヨーロッパ諸国に仕事上の理由でやってきたり、住みつこうとしたりすることは許せているのです。

しかし、キリスト教的な世界観を受け入れずに、自分たちなりの宗教や倫理観を守りとおそうとする人々がやってくれば、たちまち表面的な美辞麗句と実態との乖離が起きます。

しかし、EU官僚たちにとってみれば、EU圏が高らかに謳いあげる商品、サービス、資本、人の移動の自由が、ヨーロッパ系白人キリスト教国の世界観を尊重する人間たちだけに与えられる特権だと正直に認めたら、この理想主義的な姿勢はまったくの絵空事だと簡単にばれてしまいます。だからこそ、崇高な理想主義とは裏腹なダブリン協定のようなものをつくって、EU圏全体として危険分子の入国を阻止しようとしているのでしょう。

今後の世界でEU圏を崩壊に追いやるのは、メルケル首相の人道主義ではなく、EU圏諸国がつくり上げた理想主義的な建前の偽善性なのだということを、順を追って説明していきます。実は、メルケル首相の例外的な難民受け入れ宣言以前から、ドイツ入国を目指す難民の数は激増していました。

シリアからドイツへの難民を例に取れば、シリアから脱出した難民の総数は、有志軍よる空爆が激化した2014年以来で約250万人から2015年8月までで400万人へと激増していました。しかし、どこかの政府に難民申請をした人たちの人数も、同じ期間内に約10万人から35万人強へと増えましたが、シリアから脱出した人たち全体に占める比率は非常に低いようです。どこの国でも簡単に難民申請を受け入れてもらえない実情だということがわかります。また、月次での難民申請数も月間1万人から4万人程度にとどまっています。

一方、その中でシリアを脱出した難民がドイツに難民申請をした人数は、2014年1月の2000人にも満たないところから、2015年8月には約1万人へと激増していました。当然のことながら、故国を捨ててまったく新しい環境で生活をするということになれば、難民側でもいろいろな経路で情報を収集して、なるべく難民に好意的な場所で生きていきたいと思うはずです。

具体的には、米軍と結託して執拗にイラクやシリアでの空爆をくり返しているイギリスやフランスには、たとえ難民を寛容に受け入れてやると言われたとしても、意地でも行きたくないでしょう。そして、実際に大量の難民を受け入れる前のドイツは、ヨーロッパ諸国の中でも傑出して移民一般に対して好意的な世論がありました。

スペインがフランスより移民受け入れに好意的で、ポーランドもイタリアより好意的だといった例外はありますが、基本的に豊かな国ほど移民受け入れに積極的で、貧しい国ほど消極的という傾向が読み取れます。

そして、中東からの難民たちも、こうした世論動向を知っていて、とくにドイツを難民申請先に選ぶことが多かったようです。だからこそ、ドイツへの難民申請者数は、前回のピークだったユーゴスラビア内戦での申請者数の2倍を突破する100万人台の大台乗せとなったのです。

結論を言えば、メルケルも中東からドイツに難民申請をした人たちも甘かったと言わざるを得ません。ドイツ人が移民一般について語るとき、それは中東イスラム圏からの難民まで包摂した概念ではなく、宗旨は違えどもキリスト教徒であるヨーロッパの白人を想定していることを見落としていたのです。

メルケルの寛容な難民受け入れ政策を信じてドイツに難民申請をした中東イスラム圏の人々がどんな境遇に置かれているかを説明すると、例えば、「ドイツで難民と地元民の『乱闘』が頻発」という記事がありましたがが、実態はまったく違いました。

ザクソニー州のバウツェンという小さな町で、約80人の屈強な極右集団が、全員18歳以下の難民の子女を取り囲み、執拗に罵声を浴びせつづけて、一方的な殴る蹴るの暴行に終わるに決まっている乱闘に強引に持ちこんだようです。

通報を受けた警察が出動したのは20時50分でしたが、中に割って入って乱闘を止めるにもかなり時間がかかりました。そして、極右のゴロツキ集団の中には、難民居住区に入りこんでなおも暴行を加えようとする連中がいたため、警察官が難民を守るとともに、この居住区に住んでいる32人の難民に「危険だから外に出ないように」と警告しなければならなかったのです。

この一方的な袋叩きに等しい乱闘に参加していた難民は少年少女ばかりの約20人でしたから、ドイツ人のためにドイツを守ると称する右翼のゴロツキたちは、乱闘に参加していなかった難民たちにも危害を加えようとしていたのです。

また、この乱闘で胸を刺された18歳の難民の少年は救急車で病院に運ばれたのですが、最初に少年を収容した救急車はこのゴロツキどもによる投石で立ち往生し、少年は2台目の救急車に移されてようやく病院に到着できるという騒ぎになりました。

また、今年初めに難民キャンプに対する放火事件があったときには、この火事を見物していた野次馬たちが消防車や救急車の現場への移動を妨害したといいます。さらに、この放火事件の翌月事態を鎮静化させるためにこの町を訪れて、難民問題の危機化についてのヨアヒム・ガウク大統領の演説にも罵声を浴びせつづけた連中がいました。バウツェンの現職の市長が、「この町は極右過激派の遊び場と化してしまった」と嘆いている状況なのです。

「ドイツのための選択(AfD)」という政党は、「中東からのイスラム教徒の難民に関しては、受け入れ枠を設定すべきだ」と主張しています。これは、明らかに思想・信条・宗教・人種によって対応を差別すべきだという議論です。

結果的に「イスラム教徒はイスラム教徒であるがゆえに、少なくとも潜在的な犯罪者であり、彼らを監視し、挑発し、乱闘に持ちこんで叩きのめすべきだ」と叫び立てる連中を褒めそやし、けしかける役割を果たしています。そういう意味では、嫌韓、反中を標榜し、「在日は在日であるがゆえに犯罪者集団だ」と決めつける言辞をわめきたてる日本の街宣車右翼と大差はあまりありません。

現代ドイツ人たちは、実際に中東からのイスラム教徒難民が大量にやってくるまではもの分かりの良さそうなことを言っておきながら、100万人もの難民の中から数十人、あるいは数百人の犯罪者が出ると、手のひらを返したようにAfDへの投票を激増させています。

制定当時は世界で最高に民主主義的な憲法と呼ばれたワイマール憲法のもとで、「反ユダヤ、反ジプシー、反同性愛」の排外主義キャンペーンをくり広げたナチスを第一党にしてしまった教訓から何ひとつ学んでいないのでしょうか。

AfDの「イスラム教徒による難民申請には受け入れ枠を課せ」という人種的・宗教的差別を丸出しにした主張を無責任な人道主義に対する責任ある態度と称賛する文章の中に、以下のような一節がありました。

「2015年大みそかのケルン大聖堂前広場では何千人もの『ドイツ語を話さない男性』や『中東や北アフリカ風の男性』が、まるで湧き出したように広場を埋め尽くしていた。そして、そんなことを知らずにやってきた女性たちが、あっという間に包囲された。被害者の証言によれば、徒党を組んだ何十人もの男性が、身動きの取れなくなった女性たちに、執拗な性的暴行を加え、ついでにスマホや財布まで盗んだ。警察はこのような事態を予測しておらず、人員不足のため、混乱をただ眺めているしかなかったという。被害届は700件を超えた」(Yomiuri Online、2016年9月14日掲載の川口マーン恵美氏)

この文章全体はかなり長文ですが、この「大みそかのケルン大聖堂事件」が、それまでは挙国一致で温かく中東からの難民を迎え入れていたドイツ国民が「難民に対して強硬策を取れ」と要求するように変わった分水嶺だったと評価しています。

しかし、それだけの大事件の全貌については、これ以上何ひとつ語られていません。具体的に何人の女性が、どんな性的暴行被害にあったのかは、おそらく意図的にぼかしたままなのです。一方、すでにご紹介したように、現職のバウツェン市長は「地元民の中の極右過激派による難民キャンプの襲撃事件が起きている」と証言しているが、こうした事件については、何ひとつコメントしていません。

読んだことがある方もいらっしゃると思いますが、川口マーン恵美氏は、『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』(講談社プラスα新書)を刊行したころは、まっとうな文章を書いていました。いつから、こういう根拠も薄弱な「事件」をネタに対イスラム排外主義をあおるアジテーターに成り下がってしまったのでしょう。

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