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イギリス国民の実質時給と労働生産性伸び率が150年ぶりに下落


イギリス勤労者の実質平均週給を1850年から2015年までという超長期で描いたグラフを見てみると、収録した165年間の長い歴史の中で、イギリスの勤労者の実質平均週給が減少したのは、ビクトリア女王治世の最盛期だった1860年代半ば以来じつに1世紀半ぶりのことです。

これは、ふたつの重要な歴史の教訓を示しています。ひとつ目は、政治・軍事・外交などにおける国威の発揚と庶民の生活にはなんの関係もなく、むしろ国家としての栄光の時代は庶民生活が苦しい時代でもあったということです。

改めて、近代イギリス史にとって1860年代とはどんな時代だったのかをふり返ってみると、「女王の時代に繁栄する」と言われるイギリス歴代の国王・女王の中でも有数の長い治世を誇ったビクトリア女王(在位1837~1901年)の治世も折り返し点に差しかかっていました。

当時の大英帝国は、世界帝国としての版図をまさに「1日中太陽の沈むときがない」と言われるほどの広さに拡大していました。インド亜大陸の全土をほぼ制圧し、二次にわたるアヘン戦争で中国の重要な貿易港を開港させ、三次にわたる対ビルマ戦争によってビルマ王国のインドへの併合もほぼ完了していました。

ちょうどその頃、イギリス勤労者の実質平均週給は下落に転じていました。この下落の要因のひとつは、アメリカで奴隷制の維持をめぐる南北戦争が勃発したために、当時まだイギリスの基幹産業の一角を形成していた綿工業が、アメリカ南部からの綿花の輸入に支障をきたしていたことでした。

もうひとつの、そしてもっと大きな要因は、拡大し続ける植民地でボロ儲けをして本国に帰った成り上がり長者の特権的で莫大な収入の大部分が、平均的なイギリス国民の勤労所得向上にはまったく貢献しない形で、嗜好品の消費や資本の自己増殖のための世界を股にかけた事業規模拡大に使われていたことでした。イギリスの経済成長率の鈍化も、まさにこのビクトリア女王治世の後半から始まり、やがて19世紀末にはドイツやアメリカといった新興国に世界経済成長の牽引役を譲り渡していったのです。

さらに、読み取れるもうひとつの教訓は、最近のイギリス経済のジリ貧化は決してイギリスがEUに加盟しているから起きたことではなく、遅くとも1970年代末には始まっていた国力衰退の一環だということです。もちろん、イギリスが従来どおりEUに加盟し続けていたとしても改善できるものではなかったでしょうが、EUから離脱することによって画期的な改善が見こめるものでもありません。

イギリスの時間当たり労働生産性の伸び率が10年移動平均ベースでここまで下がったのは、近代経済史上最長のデフレ期だった1873~96年の終盤に当たる1890年代前半と、第一次世界大戦勃発直前の1910年代前半の2回だけでした。

過去2回は大きく下げることもあれば大きく上げることもあった中での平均値が0.3%前後まで下がったのであって、これほど低い伸び率がそのまま定着しそうな気配はなかったのですが、今回の下げ方はまったく違います。

下がったときの下落率は過去の乱高下期ほど大きくないですが、その後の反発の上昇率がもっと低いので、じりじり10年平均が押し下げられていきました。それでは、いったい何がこの慢性的な労働生産性伸び率の低下を招いているのでしょうか。

イギリスは、経済大国の中で最初にフルライン製造業を守ることを非現実的な目標として捨てた国でした。綿工業から鉄道機関車製造ぐらいまでは新興のドイツやアメリカに伍して競争していましたが、1870年代あたりから本格化した重化学工業の大規模化競争には付いていけなかったようです。そこで二度の世界大戦をはさんだ1950年代末か60年代初頭には、フルライン製造業の維持という目標を捨て、金融業に傾斜した国民経済へと転換していきました。

この戦略は、金融業界の高額所得者の給与が週給水準を引き上げるかたちでの実質週給の上昇としては、1980年代まで順調に成果を上げていたように見えます。しかし、労働生産性上昇率で見ると、1970年代末にはもうピークアウトしていたことがわかります。

「国民の間で所得・資産の格差を広げることが、最終的には国民全体の福祉を高める」と唱えて勤労者間の所得・資産格差の拡大につながる経済転換を強硬に推進した新保守主義政治家だったマーガレット・サッチャーは、1979年に首相に就任し、1990年まで政権を維持していました。政治潮流の変化は実体経済の転換に遅れがちなことを実証する事例として、非常に象徴的な意味を持つ事態の展開です。

世界経済の製造業主導からサービス業主導への転換がほぼ完了しようとしているのは、間違いのない事実です。しかし、この転換をいち早く察知した保守派政治家たちによる、金融業が異常に肥大化したサービス業主導経済への転換は、ほぼ完全な失敗でした。この事実を非常に明瞭に示しているのがイギリス経済の慢性的な衰退です。

金融業のみが異常に肥大化したサービス産業主導経済という意味では同じ道を選んだアメリカは、世界の金融市場をカバーしている範囲がイギリスとは比較にならないほど広いので、もうすこし長持ちするかと思っていましたが、どうやらあまり長い期間を置かずにイギリスと同じ没落への道をたどりそうです。

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