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EU諸国の人口10万人当たり難民受け入れ実績


2015年9月9日にEUが中東からの難民受け入れ枠(EU28ヵ国全体への難民のうち何%を当該国が引き受けるかという比率として設定)を発表した時点では、ドイツの難民受け入れ実績は設定枠の20%台前半を上回る30%近くに達し、EU圏でもっとも超過達成度の高い国でした。

しかし、同じEU圏に属しながら、イギリス、アイルランド、デンマークの3ヵ国は受け入れ枠を免除されていました。こういうところにも、EUを国家とすればその内閣に当たる欧州委員会がいかに政治的に立ち回る組織かということが現れています。

一方、ドイツに次ぐ20%弱を割り当てられているフランスは、かろうじて10%程度を受け入れた程度で未達の度合いがもっとも大きいようです。経済環境が非常に悪いスペインやポルトガル、旧ソ連東欧圏諸国に比べて、フランスは異常なほど難民受け入れに消極的だという印象が強いのです。

その一因として、フランスはイギリスとともにアメリカ主導の有志軍に参加して、イラク・シリア、とりわけシリアへの空爆を積極的に行っているので、難民側もさすがにフランスには行きたがらないという事情も介在しているのでしょう。これが「戦災の激甚な地域からの難民を受け入れたくなければ、積極的にその地域での戦火の拡大に貢献したほうがいい」という悪い教訓にならなければいいがと思わずにはいられません。

ところが、今回の主として中東イスラム圏からの難民の受け入れについては、ドイツはEU圏内で突出したシェアを確保しています。しかし、過去の人口10万人当たりの難民受け入れ人数の比較では、ドイツはイギリス以上にヨーロッパ大陸から離れた島国であるアイルランドの8.2人に次ぐ10.3人という低さで、発足当初からのEUメンバーのうち南欧諸国をのぞく11ヵ国の中で、下から2番目となっているのです。

この事実を見るだけでも、「第二次世界大戦以降のドイツはお人好しな国で、両手を広げてどんどん難民を受け入れつづけてきたのだが、その寛容な姿勢に対して恩をあだで返すような難民の所業があまりにも多く、さすがに人の好いドイツ人も堪忍袋の緒が切れてしまったのだ」といった論調がいかに事実と反する主張かがわかります。ユーゴ内戦でとくにコソボからの難民が増えたとき、西欧諸国の中で先頭に立って難民受け入れ基準を厳格化したのは、当時のドイツ首相ヘルムート・コールでした。

EU諸国が建前で言うほどオープンな国々の集まりではないことが、非常によくわかるようになってきました。EUでは大国と目される6ヵ国の中でいちばんEU圏外生まれの人の多いスウェーデンでも、その比率は10.6%、2位のスペインが8.5%、3位のフランスが8.3%、4位のイギリスが8.1%、そこからちょっと水をあけられて5位のドイツが7.4%、6位のイタリアが6.5%となっています。

ドイツ・イタリアが5、6位だった理由は分かりやすく、第二次大戦後かなり長期にわたって敗戦国は経済的にも国際社会での評判という点でも、あまり外国生まれの人間が住みつきたがらない国だったことの影響が大きいでしょう。

ただ、そこで興味深いのは、世界史上最大の版図を持つ大英帝国を築いたイギリスが、第二次大戦の戦勝国としては外国生まれ人口比率がいちばん低い国だという事実です。もちろん、戦争などによって生命財産に深刻な脅威を感じている人たちを難民として受け入れるのは、文句なく良いことです。しかし、平時に外国生まれ人口が総人口の10%を大きく超えているような国というのは、むしろ異常な国なのではないでしょうか。

世界の他地域にある富裕国と比べて、ヨーロッパ諸国は外国生まれ人口が少なすぎるようです。しかし、他地域にある富裕国とは、実際には旧大英帝国の植民地ばかりです。そして、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、アメリカの4ヵ国の共通点は、武力で圧倒的に劣る先住民たちを、戦争と貧困によって取るに足らないほどの少数派に追いやってから、自分たちだけで経済活動を営むには広すぎる国土に移民を招き入れて成長してきた国々だということです。

この点に関しても、アメリカに入植した主としてイギリス系の白人たちが、アメリカン・インディアンと呼んだ先住民たちをどこまで過酷に虐殺し、不毛の地に追いたてて行ったかは比較的知られています。しかし、オーストラリア入植者たちのアボリジニ対策は、もっとひどかったことを知っている日本人は少ないようです。

タスマニアの先住民は、最後のひとりまで殺し尽くされました。オーストラリア大陸で細々と生き延びた先住民たちも、意図的かつ組織的にアルコール中毒に追いやられ、昔の日本で言えば、先住民であること自体が後見人の要件を満たしているとされ、資産を持つことも、入植者たちと対等に取引することも、法律的に意味のある契約を交わすこともできない境遇に置かれていたのです。

こうして見てくると、もし移民を受け入れる気があれば、世界中に豊富な供給源を持っていたイギリスが、総人口中に占める外国生まれ人口の比率が第二次世界大戦勝ち組の中で、いちばん低いことには、かなり大きな意味があるのではないでしょうか。

聖人君子ばかりで構成された国ならいざ知らず、生身でそれなりに欲もある人間同士がぶつかり合う現実社会で、明らかに言語、文化、風俗が違う人間が少数派として存在することには、当然無理がある。膨大な大英帝国の版図を維持してきたイギリス人には、それがいちばんよく分かっていたのです。 この直観が正しかったことが明瞭に浮かび上がってきます。難民申請の受け入れで上位4スポットを占めているのは、みごとに中世後期にヨーロッパ最大の帝国を維持していたハプスブルク家=神聖ローマ帝国の旧版図を国土とするハンガリー、オーストリア、ドイツと、当時ハプスブルク帝国の最大のライバルだったスウェーデン王国です。

つまり、近世から近代にかけて海外植民地経営型の帝国が隆盛を極めるようになると、その競争から脱落していった国々なのです。当然、植民地経営における少数派の取り扱いがいかにむずかしいかも、ほとんど知らない国々です。

もうひとつ興味深いのは、西欧諸国の中でもほぼ一枚岩的にカトリックの強いフランスやイタリアでは、イスラム教徒の難民をかなり高い精度で排除するスクリーニングが有効に機能している気配が見えることです。

難民受け入れ数では人口100万人当たりで251人と11位のイタリアは、受け入れた難民の発生国ではガンビア、セネガル、ナイジェリアとイスラム教が多数派を占めるアフリカ諸国で宗教的少数派であったおそらくキリスト教徒を受け入れているようです。しかし、近年激増している中東イスラム諸国からの難民はあまり受け入れていません。

人口100万人当たりで224人と13位のフランスも、申請を受け入れた難民の出身国はコソボ、コンゴ民主共和国(旧ザイール)、ロシアとなっていて、中東イスラム圏からの受け入れは少なっく、コソボは人種的にはアルバニア系、宗教的にはイスラム教が多数派を占めています。コソボからの難民の大多数は、その多数派から逃れたセルビア系のカトリックまたはギリシャ正教系の難民が多いようです。

さて、総人口中の外国生まれ人口比率ではヨーロッパ大陸諸国で最高、人口100万人当たりの難民申請受け入れ数でも1184人と第2位のスウェーデンでは、「難民受け入れとともに治安が悪化し、とくに地元女性に対する難民による性的暴行事件が激増した」というような議論がされることがあります。これは、すでにご紹介したAfD的な排外主義を受け売りする人たちの間でも、強調されがちな論点です。

中東から地中海経由でヨーロッパ諸国に向かう難民が激増したのは、2015年4月以降だったことがわかっています。一方、スウェーデンの強姦事件、とくに既遂事件は2005年から激増に転じています。ユーゴ内戦によるコソボからの難民増加からはかなり遅れているし、中東からの難民の激増よりはずっと早いのです。

つまり、難民の増加とはまったくかかわりのない国内要因によって、スウェーデン社会の治安悪化は2004~2005年ごろから進んでおり、その結果強姦既遂事件も増えていたのです。一方、難民のみならず移民一般に対してきびしく対応しているノルウェーでは、たしかに治安はスウェーデンほど悪化していないようです。

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